音楽が鳴り止まない.1人の時間を持て余してずっと音楽を聴いている.ラフマニノフのピアノ協奏曲3番.ワイセンベルクの演奏は透明な鋼のよう.ラヴェルのピアノ協奏曲.アルゲリッチの指先は所々弾き飛ばしつつあくまでも流麗.酩酊した脳髄に染み込んでくるロストロポーヴィチのチェロ組曲、巧みなボウイング.人の声を聴く気にならなくて,ちょっと大げさなオーケストラと,大人しい室内楽曲ばかり聴く.ぐったりとして,目を閉じていても,四角い部屋に音楽は響く.旋律は鼓膜を撫でる.音楽は酩酊にさえ寄り添う.ウォルター・ペイターの本意は知らないけど,"全ての芸術は音楽の形式に嫉妬する"と書いた時の彼も,もしかしたら1人で泥酔していたのかもしれない.

 

街の賑わいに溶ける.こぼれだす光,あふれる音,呼吸,視線.輸入された雰囲気から生産されるありきたりで,それぞれきっと特別な物語たち.いつだって人々は祝祭を求めるし,祝祭も人々を求める.祝祭は惑星の公転に同期している.人の感覚は公転を直接は知覚しない.だから人間は節句ごとの祝祭を通して居住する天体の呼吸と,身体の呼吸を合わせる.ではなぜ節句が祝祭でなくてはいけないのかと言えば簡単な話で,動物らしく振る舞うための言い訳を,はしゃいだりさわいだりするための口実を,いつも人が求めているからだ.