アナロジーの罠.そんなタイトルの本を昔読んだ.いいタイトルだな,と思う.当時もたぶん,そう思って読んだんだろう.たしか内容は通俗的ポストモダン批判で,つまらなくもなく,おもしろくもなく,著者の苛立ちだけが妙に生々しいこと以外にはとりたてて特徴のない本だった.

アナロジー.罠.なるほどね.たしかにこの世はアナロジーであふれていて,そのほとんどは罠として作用する.ふつう,大いなる力には大いなる責任が伴うけれど,アナロジーはその巨大な権能に対して,実にささやかな責任しか要請しない(ように思われている)ので,人間は思い思いにこの罠を乱用し,思い思いの仕方で罠にかかり,四肢を吹き飛ばしたり,消し炭になったり,過去を消滅させたりしながらも,多くの場合罠にかかったという自覚も,痛みも,あるいは罠にかけてしまったという罪悪感も後悔もないまま,何事もなくに蘇生してはまた,何食わぬ顔で,罠にはまったり,罠を撒き散らしたりする.アナロジーは人間にとっては常に罠で,アナロジーに満ちたこの世界は見渡す限りの地雷原だ.なのに,その広大な地雷原の上には,どういうわけか,平然と街が建設され,大勢の人が暮らし,日常が営まれている.絶え間ない破裂音.炸薬の匂い.狂気だ.どうかしている.

しきたりに従って,ルール通りに発狂すれば,地雷原の上に暮らしていても自分の正気を確信できる世界.正気を疑わずに済む世界.人間たちのすむ世界.美しく優しい狂った世界.吹き飛べ.