僕は頭が悪い.理解が遅いし,浅い.僕はしょっちゅう理路の途中で立ち止まる.まったく動けなくなる.考えること以外,何もできなくなる.

知性の信奉者たち.知性なる本質が存在すると,信じて疑わない厄介な人たち.かと思えば,もう一方には極端な相対主義者.言葉遊びと思考の区別もまともにつけられない人々.

知性は価値の一種だ.知性は人間の営みの部分だ.知性は人間の営みの部分として,価値という概念が満たす性質をすべて満たす.知性の価値を決定するのは時代性だ.時代性の要求から外れた知性は知性と呼ばれない.先述した時代性からの"要求"はそのまま"需要"と言い換えてもいい.知的な人間とは需要のある知性の供給者のことだ.

となれば,考えるべきは需要の主体である時代性とはなんぞや,ということになる.時代性とは任意の時代がもつ傾向であり,何の傾向かといえば人間の思考や行動様式の傾向のことだろう.他の価値と同様,知性の価値も人間の思考/行動様式の結果である需給のバランスによって決まる.

知性なんて,所詮その程度のものだ.人類というプリミティブな動物の集合体が決める需給に,絶対的な価値を認めようとは,僕はとても思えない.ただ,一見矛盾するようだけど,僕は僕なりに,僕にとっての知性というものを信じている.そしてその僕なりの知性を,それなりに頑固に信じている.