祈り方を知らない.僕には信仰がない.僕には神がいない.何を神と呼ぶかは人それぞれだろうけど,誰が何を神と呼んだところで,いずれにせよ,それは僕の祈りの宛先にはならない.人に祈った記憶もない.物に祈ったこともない.僕の右手は十字を切らない.僕の手指は心臓の前に組まれない.僕の手はただ記述する.せわしなく指は数式を記述し,言語を記述し,プログラムを記述する.写本の時代,記述は確かに祈りだった.では,今なお記述は祈りの一形態と言えるだろうか.もしそう言えるなら,僕は記述を通して何を祈っているんだろう.何に祈っているのだろう.これが祈りだと言うのなら,僕はいったい,何から救われようとしているのだろう.

 

雨音が聞こえる.雨は堕天した氷だ.上空で形成された氷の粒は,自由落下しながら溶解して,水滴へと相変化する.雨粒の半径r = 1mmとすると,その終端速度vは約6m/s.雨雲の雲底が地上から2500mと仮定すると,雨粒が接地するまでの時間は6分強.今聴こえている雨音は,雲を離れて地上に弾けるまで,約6分の旅程を経てきたことになる.その6分で僕は,タバコを1本吸って,ビスケットを2枚食べた.今出来た氷の粒が雨音になるまでの間に,僕はきっと,着替えて歯を磨く.