漠然とした印象に呑まれる.まだ眠るたびに夢を見ていた頃の記憶.咳をするたびに割れたガラスで口の中を切る夢.モンティパイソンの世界をさまよう夢.滝に手を突っ込んで何かを掴もうとする夢.あとは黄色いシャツを着た母が,芝生の向こうで手招いている夢なのか,夢でないのか分からない,胡乱な記憶.朝日に透かした手の赤さ.肺の痛み.針の感触.書斎の匂い.クロテッドクリームのべたつき.テーブルの裏側に貼った値札シール.緑色の目の女の子.割れたガラス棒.森で拾ったクチバシ.父が爪を切る音.妹の真っ赤な自転車.病室のカーテンのシミ.白い椅子.そんな,記憶とも呼べない,素朴な印象.

 

計算.計算をする.計算をして,計算をする.最初は脳と手とノートで.次にコンピュータとキーボードで.計算をして,同じ結果を得る.そうやって自分の正しさを,局所的に確かめる.人間は,大局的には常に間違っている.僕は人間だから,僕も大局的には常に間違っている.それ自体は問題じゃない.間違っていることが問題になるのは,間違ってはいけない箇所で間違えることだ.そして,間違ってはいけない箇所で間違えないようにするためには,間違っていい箇所でたくさん間違えておくしかない.人間は忘れる.だけど忘れることは問題じゃない.問題は,忘れたままになることだ.忘れたままにしないためには,忘れた回数より1回だけ多く思い出せばいい.この1回のためだけに,僕たちはなんどもなんども忘れ続ける.なんどもなんども間違える.間違えて,忘れて,また間違えて忘れて,それが楽しくて,ずっとやめられない.