巨大な感情との接触.人間存在の内面性を理性と感情とに分割したのは,どうせ哲学者なのだろうが,まったく余計なことをしてくれる.そんなふうに分割するから,人間は感情を理性でいなそうとするし,理性に感情で色付けしようとする.個人は文字通りin-dividualで分割不可能なものだ.だから,半面を理性に向けながら,もう半面で感情と向かうような存在方法は,個人としてはたぶんありえない.だいたい,理性と感情という二項関係は果たして対になっているのだろうか.それらは対義語として妥当だろうか.理性と感情はまったく異なる仕組みを持つ独立した系で,そこに相関はなく,互いに一切干渉しないというのが僕の実感なのだが,個人の実感を安易に一般化するのも軽薄なので,これについてはこれ以上考えないことにする.

 

カレーを焦がした.クリスマスイヴに鶏肉を仕込んで,それをクリスマスの朝にタマネギのカレーで煮た.食べ切らなかった分を朝食にしようと温め直していたのが,今朝.鍋を火にかけたまま,ふいに始めた読書が興にのってしまい,部屋に漂う炭っぽい臭いに慌てふためくまで,どっぷり小説の中にいた.せっかく上手に出来たのに,もったいないことをした.読んでいたのは吉田篤弘の『パロールジュレと紙屑の都』.何年か前に一度読み終えて,いたく感動した記憶がある.ただ,思い出すのは詩的で清潔な印象ばかりで、物語の大筋はすっかり忘れてしまっているから,とても新鮮な気持ちで読み直せている.自分の記憶力のヒドさも,こういう時に限っては捨てたものじゃないなと思う.ああ,それにしても部屋が焦げ臭い.