愛書家を信じない.個々人の感性はひとまず置いて,いわゆる愛書家と一括りに出来るような人々の,審美眼や感受性は正直かなり怪しいと思っている.というのは,愛書家は書物を否定する語彙を持たないからだ.愛書家は礼賛する.愛書家は推薦する.なるほど,衒学のヴァリアントとしてそういった手法が有効なことは承知しているし,書物への賞賛それ自体を咎めようとはつゆ思わない.しかし,あまりにも賞賛がゆき過ぎてはいないか,とは思う.さすがに,褒め過ぎではないか.あるいは,貶すこと,批判することを,ためらい過ぎているのではないか.

他分野の批評空間の,その多くはさながら戦場だ.賞賛と罵倒,擁護と攻撃,対立につぐ対立,そんな中から抜きん出た傑作だけが喝采を浴びて,駄作は数奇者のオモチャにされるか,あるいは単に無視される.一方で,愛書家の間からこうした戦闘が生じる様を,僕はついぞ見たことがない.皆口を揃えて書物を褒めそやす.誰も"つまらない"と言わない.誰も"くだらない"と言わない."駄作"を挙げない."凡作"扱いすらしない.目にするのはclichéまみれの称賛がほとんどで,(一部の)文学の世界には傑作しかないのではないかと錯覚させられる.傑作という評価は相対的なもので,駄作や凡作無しに傑作など語りようもないはずなのだが,となるとつまり,任意の書物に対する一連の称賛は,一種の信仰告白なのだろうか.

信仰なら信仰で構わない.信仰にはドグマがあり,ドグマがドグマたる所以はそこに救いがあるからだ.それがどんな救いかは知らないが,どんな救いも救いであるからには,必ず対価を要求される.無償の救済なんて詐欺の世界でしかあり得ない.では愛書家なる人々は,いったい何に,どんな対価を支払っているのか.それが"何"なのかぼんやりと見え透いてしまうだけに,なんとも言えない気持ちになる.