時間は流れない.時間というのは,僕にとって,流れるようなものじゃない.いま,たとえどれだけ多くの人が"流れる時"を受け入れていようと,それは僕にとって単なるナンセンスだ.アナロジーの条件を満たしていない,無意味な表現.あるいは,極端に感覚と乖離した,うつろなリリシズム.時が流れる世界には,多くの人が住むかもしれないけど,そこに僕だけはいない.かつていたこともない.きっとこれからもいない.僕の時は流れない.

時は流れない.時はあらゆる意味で流体ではない.水にも風にも似ていない.時というのは,時間というのは,もっと硬質で,もっと重くて,もっとザラザラしている.ゴツゴツして,ひび割れて,ところどころ鈍く輝いている.それはたとえば巨大な鉱石に似ている.巨大といっても,巨大という言葉からふつう連想されるような巨大さじゃない.それは,時は,いたるところ鉱石的な性質をもちながら,宇宙の構造とおなじ巨大さを持っている.時間とはそんな,とてつもない大きさの岩石.それは認識を支え,現象をせき止め,つねに何かの限界として立ちはだかる.印象の舞台.観念の壁.意味のすみか.びくともしない.

僕の時は動かない.僕の時は流れゆくほど儚くもない.僕の時はただ存在し,ただ沈黙する.僕の時は絶対静止系で……つまり,そうか,僕は時を,時間を,この大地のようなものとして認識している.僕は時間の上を歩き回り,駆け回り,這い回る.いつも動くのは僕の方ばかりで,時間はそれになにも応えない.こう書くと,僕の時間はずいぶん古典(力学)的だ.理解が古典的であるからには,古典的な正しさが,特殊解としての正しさが,そこにはあるのだろう.そしてその正しさは,僕という具体例にとって,何かがなんだかちょうどいいのだろう.