光の扉がひらいた夜だった.いくつもひらいた夜だった.空に張った黒い天鵞絨の天幕が,うすらかに,すっと,ひとすじ裂けて,その裂け目から,天上の光が,かすかに漏れ,またすぐに,ふっと閉じる.冬の舗道に立って僕は,今夜,それを3度見た.

 

いにしえの神々は,ときおり夜空に,即席の扉を切る.薄く開けたその扉に,神は額を寄せて,隙間から,そっと片目で下界を見下ろす.こっそり,人の営みをうかがうためだという.そしてその一瞬,とこしえなる天上の光が地にまでそそぐ.光の扉のひらくを見るや,はっ,とあわてて人は祈る.懸命に,ひらいた扉の隙間を抜けて,神に届ける願いを祈る.いたずらな神が扉を閉じきるまでの刹那,人の願い,想いは,虚空を縫って,夜を翔け,じかに神へと届けられる.かつていにしえの人々はそう信じたという.だからきっと古人は,暗闇の中,瞬きも惜しむ思いで夜天を見つめて,この,束の間の謁見をじっと待ったのだろう.

 

いま,人はこの,天界の光を流星と呼ぶ.そして,数多の神々がこぞって扉を切る夜を,流星群の夜とも呼ぶ.今日はそんな,流星群の夜だった.きっと多くの人が星に祈った.切実な何かを夜空に願った.人はもはや,それが神秘の扉ではなく,小天体との衝突によって電離した,熱圏における気体分子の発光と知っている.あるいはそうとまで知らなくとも,教科書で説明されるような,まぎれもない物理現象と理解はしている.それでも,そう知って,理解してもなお,人は,夜を駆けるこの刹那のひらめきに祈らずにいられない.現代までに物理学は,流星の神秘をかなりの程度解き明かしたが,流星に向かう人の祈りや,願いについては,何も説明しない.当然だ.それらを説明することは,これまでもこれからも,物理学者の仕事ではない.それはきっと聖職者の,あるいは詩人の仕事であり続ける.

 

今日,物理学者でも聖職者でも,まして詩人でもない僕は,北からの夜風が吹く摂氏6度の路上で,着色された甘い炭酸水を飲みながら,タバコを吸って,ぼんやり街を徘徊していた.すると,液晶画面越しに,知人が流星群のことを教えてくれた.それを知った僕は小躍りして,街灯の少ない路地裏のベンチに陣取った.見上げた夜空は紫がかった濃紺で,高い雲が月光を吸って薄墨を流していた.すぐに,雲の少ない南西の空にオリオン座を見つける.少し南へ視線をずらすと,あからさまなくらいにポルックスが輝いていて,ふたご座はあっけなく見つかった.それからは,ずっと空ばかり見ていた.しばらく待って,流れた,ひとつめの流星.願いごとなんて,用意してなかった.ふたつめは,それからすぐだった.とっさの願いごとをペラペラ口にしてから,どうやら心の中で願うものらしいと知る.その直後,また,ひときわ大きな星が尾を引いて流れた.あれはきっと,彗星と呼んでいい.ひと夜のうちに大小3つの流星を見た僕は,すっかり満足して,多少迷いながら,まだ慣れない道を家まで戻った.このことを日記に書こうと決めて,ゆっくり歩いて,家まで戻った.