丁寧に,大切にすること.敬意とは,ある対象(多くは人)のために自分ができることを真剣に考えること,そしてそうした考えに基づいて奉仕を実行することだ.奉仕に通じない敬意を,僕はそれと認めたくない.

基本的に,人間を主体とする関係性の破綻は,敬意の忘却から始まる.敬意を忘れた人間関係には,必ず搾取の構造が入り込む.利用する人間が生じ,利用される人間が生じる.これはもちろん望ましくない.しかし,そうなってしまう過程に明確な悪意が存在するパターンはむしろ稀で,多くは単に双方向的な敬意の希薄化の結果でしかない.

悪意の有無に関わらず,誰かを利用しようとする態度は必ずその対象に伝わってしまう.人間の本能はそのあたりに奇妙なほど敏感で,この手の欺瞞はどんな美辞麗句で取り繕っても,どうしようもなく伝わってしまう.そして伝わってしまったら最後,ウロボロスのように互いを餌にして,速く食い尽くした一方の頭だけが生き残る関係,消費の速度が生存戦略に直結するような悲しい関係を逃れられない.

利害の川を挟む搾取の対岸には敬意があるのだなあと,このところ思い知らされることが多い.僕は可能な限り敬意の側,奉仕者の側にいたいと思う.