ぬるま湯のような日だった.途切れ途切れの時間が,絶妙な緩急をつけて流れていった.大きな河の,河口付近の浅瀬を,裸で泳いでいるような感覚があった.僕は泳げないけれど,泳げる身体に生まれたら,チグリス川の河口を泳いでみたい.古代の文明の名残で鼻の奥を痛めながら.

どうしてこんなに穏やかな気持ちになったのかは分からない.分からないなりに,僕は今日をやり過ごさなかったからだと推測する.僕は今日,久しぶりに今日を生きた.とても自分らしく生きた.今日という日はもしかしたら,今後の人生にとっての羅針盤になるかもしれない.あとは穏やかな眠りがあり,忙しなくない朝がくれば,それでいい.いつもよりずっと,背中が柔らかく感じる.