この国は斜陽だという.そうなのか.結構.僕には関係ない.仮に何らかの関係があったとして,そんなにマクロなことは僕にはどうしようもないのだから,気にして生きる必要はない.地球市民とかいう概念を必要とする人がいるのは理解するけれど,僕には必要ではないし,今後も必要になることはないだろう.

研究という言葉はある種の呪いであって,この呪いにかかると必要以上に科学的イデオロギーに振り回されることになる.そして研究者は,研究の当事者として,それがイデオロギーであることを忘れる.悲しい.

生活に髪の毛が絡む.言葉は空を切って,どこにも届かない.数学そのものではなく,数学と向き合うことに,僕はどれだけの時間を費やしてきてしまっただろう.空費の感覚.視覚のそれと同様に,常に存在する思考の盲点.そこに僕は数学という名前を付けたのかもしれない.