僕は本当に,自分のために数学をしているだろうか.数学は僕の自己実現だろうか.僕は本当に,自分のために詩や物語を書くだろうか.文藝は僕の自己実現だろうか.僕は本当に,自分のためにプログラムを書くだろうか.プログラミングは僕の自己実現だろうか.僕が主体的に取り組んできたと信じている多くの営みは,本当に僕自身から,僕の目的や,僕の手段として,僕だけに帰属させてよいものだろうか.

僕が誰かの夢の中で走り書きしたサマルカンドの空や,僕がまた別の誰かの夢の中で目を背けた砂漠の夕日のために,もしかしたら,僕は過去を費やしてきたのではないか.僕の嘘に傷ついた誰かのもう聴こえない左耳が,最後に聴いた完全な音楽を探さなくてはいけない.僕の指が傷つけた誰かの,虚ろな祈りの先に供える花を摘みにゆかなくてはならない.僕の歌声に裏切られた誰かが街の交差点に置き忘れた,フルートの音色を届けなくてはいけない.

僕はいつか僕のために,なにかを捧げることができるようになるだろうか.

ありもしない翼を広げ,やわらかい雨を浴びる僕に,昨日や明日なんて必要だろうか.