手紙を書こうと思ったけれど,出す相手がおらず,困った.そこで,誰に渡しても,喜んでもらえるような手紙を書こうと思った.一般的に良い言葉を並べ,一般的に情感や官能をくすぐるような表現を散りばめた,誰に見られてもいいような手紙を書いて,道端にでも落としておこうかと思った.しかし,まるで内容が浮かばない.結局,30分ほど,キーボードに添えた指先は凍ったまま張り付いたみたいに,微動だにしなかった.手紙というのは本質的に個人的なものなのだな,ということを,僕はようやく理解した.個人的な手紙を,近々書いて,誰かに渡そうと思う.喜んでもらえるだろうか.

今日は,厚みを感じさせない,世界の終わりみたいな色をした月が,澄んだ夜空に張り付いていて,フライパンの底みたいだった.昨日の嫌な雨が,天体を錆びさせた.諦めるには早すぎる,という言葉が,どいういうわけか,しばらく頭の中を,誰のともない,しかしはっきりとした声で,幾度か再生されて,ふっと消えた.あの声の主を,僕はきっと知っている.