海の見える丘にのぼって,剥き出しの人生を眺めてみようとしたけれど,いわゆる人生に剥き出しの状態などなく,強いてあるとすればそれはもはや人生とは呼べない,単なる生存と言うべきもので,つまり,潮風の凪いだあの丘からは,波より他はなにも見えなかった.途中から,なにも見えないであろうことに気がついてからも,しばらくずっと,存在しないものをじっと眺めていた.

心をなにに喩えようが,そもそも心という言葉自体が他の何かを説明するための比喩に過ぎないので,まあ要するに勝手に喩えていればいい.心の実在を信じない個人は,この,すべての人が心を持つという前提で動いていく社会の中で,ほかの多くの個人よりずっと効率的に生きていけるのだろう.