ひとまとまりのひとりごと,ひびのことごと.暮らしていると,どうしても何かを書きたくなるときがあるから,こういう場所は必要だ.誰に向けて書くのでもなく,ただ書くという行為にだけ意味があるような,シャワーを浴びながら口ずさむうろ覚えな歌のような,些細で,雑で,とりとめのない文章.でもそういうものに限って,かつての自分といつかの自分を接続する管になったりもするから,何につけても”とりあえず書いておく”という姿勢は結構大切な気がしている.

この”とりあえず”という塩梅が僕には常に悩ましく,難しい.妙に目的意識を持って書いた文章なんかは,余計な作為と工夫に満ちていて,作品でもないのにまるで作品のような顔をしていて,あまり面白くない.中には,あまり面白くないどころか,単純に不愉快なものすらある.

かつての僕の文章は,装飾過剰なものが多い.過度な修辞は単なる冗長だ.冗長とは誤魔化しだ.誤魔化されたものは,誤魔化す必要があったものだ.では何を誤魔化すのかといえば,それ自体の,文章自体のレゾンデートルを誤魔化すんだ.意味がないから意味のあるふりをする.価値がないから価値のあるふりをする.無意味や無価値に耐えられないから,饒舌になり,冗長になり,文章は誤魔化しのための装飾で溢れかえる.

くだらない.と,今ならようやくそうも言えるが,当時の僕は高踏的なもの,教条的なもの,神秘的なもの,象徴的なもの,そういう,蒙昧に薄衣を掛けたような生温い世界観を妙に好んでいた.明晰であることを放棄して,曖昧の彼方へと逃避していた.その”彼方”に毒なり薬なりになるもの,なりそうなものが一片も存在しないことを確信するまでに,それなりの時間を費やしてしまった.勿体無いことをした.悔しい.しかし,不毛な自己正当化に躍起になっていた当時からすれば,後悔をあけすけに語れるようになった今は幾分もマシだなと,そんなことを思う.