たとえば,自分をしっかりと見守ること.たとえば,自分の気持ちを言葉に落とし込むこと.たとえば,自分の嫌悪感や危機感や罪悪感を飲み込んで堪えること.たとえば,自分が好きなものや好きなことや好きな人についての過剰な賛美を握り潰すこと.たとえば,分からないものや分からないことや分からない人の気持ちの揺らぎを,分からないものとして分かろうとすること.そういうことに,いちいち理性が必要なんだ.理性というのは,一面的な正しさしか保証してはくれないけれど,その一面的な正しさに一度立脚しないと,何も考えられないし,何も言えないし,何も思い出せない.個人は複数になれない.同時に複数存在することなんて出来ない.だからこそ,その瞬間ごとの一面的な正しさを切り分けて,見極めて生きていくしかない.つまり,それが個人という生き方を諦めないための唯一の方法なのだと思う.