ずっと秒針の音がしている.今日は,音楽を聴こうと思った日だった.昔,まだインスピレーションとか,感受性とか,世界理解とか,美意識とか,そういう,自分なりに加工したエゴイズムを切り売りして生きていたころ,よく音楽を聴いていた.加工したエゴイズムにはBGMが必要で,そのBGMは,身勝手な自分をいい具合に盛り立てるような,聴いている自分を肯定出来るような,ちょうどよく薄めたウイスキーみたいなものじゃなくちゃいけなかった.バカらしいけど,必死だった.

久しぶりに,色々と,高校時代に聴いていた曲とか,中学時代に聴いていた曲とか,聴き直してみると,ああ,そりゃあ,当時の僕みたいな,とにかく何かを好きになってみようと必死だった人間は,こういうのを聴くよね,こういう,抽象的で,なんとなく何かを言っているようで,その何かは聴き手の勝手な解釈に委ねて,考察だの,なんだのと,あれこれ遊ばせてくれる余地のある,言葉遊びの気取った曲が好きだよね,という妙にスカした感想をもった.ズルい大人になったものだ.

まったく,あの頃の僕には,今よりずっと,音楽が必要だったんだ.好きとか嫌いとかじゃなくて,必要だった.それが良いとか,悪いとかでもなくて,ただ,"音楽の受容体"みたいなものが精神の空隙に存在していた.特定の音楽と結合して情緒に直接作用するような,そういう仕組みが心に備わっていた.それが具体的に何で,どう作用していたのか,今になってもうまく言葉にはならない.言葉にならないってことは,ちゃんと理解していないんだ.もちろん当時だって理解なんてしていなかっただろう.だけど,なんだか切実で,なんだか必死で,とにかくその作用がなければ生きている心地がしないような,衣食住よりも大切だと言い切ってしまえるような,そういうものが,かつて僕の中にあった.まあ,完全に,病気,麻疹とか,熱病の類.

そして今,音楽なんてなくても平気で生きていられるようになって,ふと気がついたらそうなっていて,別にそれ自体を残念だともつまらないとも思わず,そしてそう思っていないことを我ながらちょっと意外に思っているんだけど,それでも,音楽を聴きながら,晴れだったり曇りだったり,雨だったりする街を歩いている時の,あの,自分が主人公になったような,自分の視界が映画みたいに物語じみてくる感覚は,相も変わらず,大好きなまま.きっと,これからも.