喜びがまだ喜びであった頃.悲しみがまだ悲しみであり,月がまだ自力で輝き,太陽はまだ天球儀の内側に貼り付いた丸いシールで,まだ人に肺と心臓以外の器官がなく,腕と翼の区別もなく,星々が神話の住処であり,風が音楽を,森林が死を,火炎が祈りを,水の流れが時間を司っていた頃,そんな頃がこの世界に,宇宙に,一度でもあったのだとしたら,僕は現代人としてもう少し,人並みくらいには,写真というものを撮ったのかも知れない.

僕は写真を撮らない.まったく撮らないわけではないけれど,あまり撮らない.光景に,心が大きく揺れる時はある.視覚的な快感にふるえることもある.その程度の標準的な感受性は備えている.だけどその時,それを写真に収めようと思わない.そういう発想が,そもそもない.何故だろうと考えて,答えはすぐに見つかった.

僕には言葉がある.言葉の表現力で,およそ,事足りている.