僕はそろそろ職業人としてのプログラマではなくなる.そのことについては,自分でもそれなりの感慨がある.こういう活動……というのは,プログラムの設計と記述だが,それを生活の糧とすることが,そしてそれが可能なことが,とても自分らしいと思っていたし,それに満足していた.僕は生来理屈っぽい人間だし,理屈を見通しよく表現することに関しては専門的な教育も訓練も受けている.時流も背中を押した.この世界はいつも非形式的な仕組みに溢れていて,この現代は,そんな仕組みを自動化するための要求で溢れてもいる.自動化というのはつまり形式化の一形態で,形式化というのは抽象化の一形態だ.先にも書いたように,僕はそういった操作について,その原理から実装に至るまで,一通りの専門性を身につけていて,それを社会(みたいなもの)に対して発揮できることは当時の僕にとっては幸福だった.そういう幸福の中で仕事をすることが幸福な生活に繋がることは簡単に想像がついたし,職業人としては実際,とても幸福だった.仕事はいつも楽しかったし,今も楽しい.僕はプログラムを書くのが好きだし,アルゴリズムパズルに入れ込んだり,前のめりにプログラミングコンテストに参加する程度には,計算そのものも好きだ.計算機の理論も好きだ.計算機に関する数学も好きだ.自分が優秀なプログラマだったかどうかはわからない.それは僕以外の誰かが判断することで,仮にそうだったとして,その評価が直接僕のプログラマとしての性質を変えるわけではない.とはいえ,さっき書いたような意味で僕はきっと,善良な,行儀の良いプログラマだったと思う.業務ドメインの多くの部分について,基礎と基本に(それなりに)忠実で,真面目なプログラマだった.そして僕は,この仕事から離れる. 理由らしきものもあるにはあるが,無いようなものだ.単に飽きたというのもある.一番もっともらしい理由をでっち上げるなら,僕はプログラマであっても良いが,プログラマでなくてもいいから,くらいになるかもしれない.そもそも僕は職業やその実績によって自己規定するタイプの人間ではないので,極論をいえば,できる範囲のことで収入が得られるなら仕事はなんでもいい.このことにはとっくに気がついていたから,いつかプログラマを辞めるだろうな,とは思っていた.ではいつ辞めるのだろう,としばし逡巡して,それこそいつ辞めてもいいな,と気がついた.いつ辞めてもいいなら,今すぐに辞めてもいいな,とも,同時に気がついた.だから辞めた.それだけのことだ. 幸い,社会(なるもの)が需要として規定しているスキルのうちのいくつかは僕の中にいつの間にか備わっていて,食い扶持の獲得くらいならそれらを使ってどうとでもなる.どうとでもなることをあれこれ案じても仕方がないので,プログラマでなくなってからも,善良に,真面目に,仕事らしき行為を続けようと思う.