なんで今更経済学か,と,聞かれたことはないけど,自分なりの考えはあって,というのは,別に経済に興味がないからだ.経済に興味がないし,なんとなれば,なるべくそんなものに興味を持ちたくもない.だから経済学を少しやっている.

経済に興味を持たないようにするためには,経済学をやるのが一番だと判断したのは,まず第一にそれに怯えることがなくなるだろうと思ったからだ.人は知らないものを怖がる.僕は人だ.また,僕は経済を知らない.ゆえに経済を怖がる.その仕組みが,存在が,不気味な敵に思えるんだ.不気味な敵に対しては,いつも警戒しておかなきゃいけない.それってつまり,いつも興味を持っていることとそんなに変わらない.僕は経済なるものに煩わされたくない.そのためには,知らなきゃいけない.知れば怖くない.少なくとも,きちんと怖がることができる.

きちんと怖がるっていうのは,なにに対してもとっても大切なことだ.やみくもに怖がるのはすごく簡単で,人はいつもいろんなものを闇雲に怖がっている.漠然とした不安っていうのはいくつも異常系に開いているプログラムみたいなもので,それは人間の機能のいろんな部分をクラッシュさせる.クラッシュした部分を直すのもコストだし,そもそもいつクラッシュするかわからないものに怯えるのもコストだ.注視って疲れる,ほんとに.

僕は経済を注視したくない.もっというと,ビジネスを注視したくない.経済とビジネスはかなり違うけれど,似たところもたくさんある.両方ともに,僕はなるべく関わりたくないんだ.

じゃあ,どうやったら関わらずにいられるだろう.ある対象が存在して,それとなるべく距離を取りたいとき,僕はどうするべきだろう.そう考えて,ちょっと考えて,得た結論は簡単だった: 知るしかない.その対象についての知識をつけるしかない.いつも怯えずに済むためには,いつ怯えたらいいかを知るしかない.それは調べないとわからない.もしそこに,パターンや仕組みのようなものがあれば,もうけもので,そのパターンや仕組みが異常な信号を投げたときにだけ,ビクッと怖がればいい.じゃあその異常性ってなんだろう.分布検査による異常検知でも,いわゆる勘ってやつでも,なんでもいいのだけど,とにかく'いつもと違う!' ってことにピンと来なきゃいけない.そのためには,当然だけど'いつも'を知らなきゃいけない.普通を知らなきゃ普通じゃなさは分からない.

そのために僕はふつうの経済を知りたい.だから,経済学を勉強している.僕が比較的知識を持っている色々なことについて,世界はとても過敏で,怯えていたりする.そんなのを見るたびに,僕は'そんなに怖がらなくていいのに'と思う.でも僕だって,知らないことは無数にあり,知らないことが目の前をかすめるたびに,その得体の知れなさにビクついて,うろたえる.

経済だのビジネスだの,僕からしたらすごく興味を持ちたくないものに,そんなふうにいたずらに身構えているのがとてもいやだ.うんざりする.うんざりした.もううんざりしたくないんだ.だから僕は経済やビジネスを,いまさら勉強している.そしてある程度勉強して,どうやら何もわからなさそうなことが分かったら,その時はきっと鷹揚に,堂々と,未知に対してぼけーっとしていられるようになるだろう.ぼけーっと生きたい.ぼけーっと.