ひとつのままならないたましいの,これは救済の物語だ.そのたましいは,他のあらゆるたましいと同じように,まるでなんの目的もなくこの世界に生じた.ただ他の多くのたましいたちと違ったのは,このたましいに限っては,本来たましいがそなえているはずの多くが欠落し,また同時に,多くを過剰に抱えていたことだった.これはそんな,あまたの過剰と欠落とのために,均衡をうしない,適応をあきらめたひとつのままならないたましいの,救済の物語だ.

たましいの救済とはつまるところ,救済を必要としなくなることだ.救済とはつねに外から与えられるもので,救済を必要としないような究極の救済とは,もはや外を,自己の外部を持たなくなることに等しい.それは世界に溶け込むことであり,世界と自己との区別を,すくなくとも自己の側からは,無くしてゆくことだ.

そのような定義に従うと,このままならないたましいにとって,究極の救済というのは原理的に不可能なものだった.このたましいはあまりにも足りず,あまりにも持て余していたので,その欠落と過剰のいちいちが,かたくなに世界との不和を際立たせていた.ところどころの歯が飛び出したり,ところどころえぐりすぎたりした歪な歯車のように,ことあるごとにそのたましいは,世界の秩序との不和をきたし,そのたびにいやおうなく,自己と自己ではないものを,内と外を,つよく意識した.歪な歯車は歪なまま回り続けて,ひび割れ,砕け,さらに歪になり,そして歪であるがゆえに,ほかのどんな歯車よりも歯車だった.歯車であることを忘れることができなかった.他のどんなたましいよりも,たましいであることを忘れることができなかった.

たましいであることを忘れることがたましいにとっての救済だとしたら,このたましいについてそれは途方もない不可能だった.調和に満ちた美しい世界と,そういう美しさとの不和を常に抱えた,じつにままならない自己とのあいだの深い差異を,このたましいはながいこと,ただぢっとみつめていた.世界の美しさに憧れて,それをぢっとみつめていた.

自分と違うものはすべて美しい.

いつしかこのたましいはそう気がついた.この不和は,すべて歪な自己と歪でない,美しい世界との間に生じるものだ.身体が軋むたびに,そこに生じる感覚は,たとえそれが痛みであろうとも,美の兆候だ.自身の過剰と欠落とを通して,痛みや悩みの中から,そのたましいは,世界の美しさを感覚することを,やがて覚えた.究極の救済から見放されたたましいは,こうして自我と美意識を獲得した.

ままならない,醜い自己だからこそ,調和に満ちた世界との不和を通して,世界の美しさをじかに感覚することができる.歪な歯車は身体に刻んだひび割れによって,自己の外側にある調和の存在を主張することができる.

僕は醜い.醜いからこそままならない.僕のような醜い存在が生きていくのはとても難儀だ.醜いものが生きにくいそんな世界は,つまり美しい.僕は醜いからこそ,僕を取り囲む,どこもかしこもまるで僕らしくないこの世界が,とても綺麗なことを知っている.知らざるを得なかった.でも,知れてよかった.昨日までと同じように,今日もこの世界は美しく,明日がやってくるならきっと,明日も世界は美しい.痛みを通してしか縋れない救いにしがみついて生きてきた.もう手放せない.だから,疼きとして生きていく.

いつしかそんなふうに自ら決めて,それ以来なにもかもを自ら決めることを選んだ,ままならないたましいの,僕の人生は,ひとつの救済の物語だ.