楽器が奏でる音色を音楽と呼ぼう.僕は楽器を演奏するのが好きだ.弦や鍵盤に触れると落ち着く.僕は楽器の音色を聴くのが好きだ.触れた弦や鍵盤を弾いて鳴らすのが好きだ.人の歌声を広義の音色とし,その広義の音色の音源であるところの人の身体を広義の楽器と解釈すれば,この解釈に従う限りの"音楽"という言葉は,およそ僕が普段音楽として聴いているものをすべて包括するだろう.そして僕は、音楽が好きだ.

僕は音楽をたくさん聴く.僕は本をたくさん読む.本を読むように音楽を聴くし,音楽を聴くように本を読む.絵を観る時も,食べ物を食べる時も,人間の話を聞く時も,たぶん同じだ.ある対象について,関心を持ってその内容を楽しもうとする時,僕の心の態度はいつも同じだ.なぜなら,僕は,そういう時に使う心の態度を,一種類しか持っていないからだ.

何かしら鑑賞の対象と向き合うとき,まず,紙とペンを想像する.紙の質も,ペン先の太さも,インクの色も問わない.そういうものを不問にするために,用意ではなく,想像するのだ.想像の紙面に,想像のペン先で触れる.あとは感じるままをただ即席の短文として,雑多に書き込んでいく.言葉にできる限り言葉にする.僕は言葉を覚えたり,言葉を認識したりするのが得意だ.逆に,うまく言葉に落ちないものを素のまま飲み込むのがとても苦手だ.言葉にしないと何も認識出来ず,何も処理できないから,言葉にする.その時,言葉にするという行為の,その印象の拠り所があった方がいい.そのために,紙とペンを想像する.

音楽を聴きながら,今日はたくさん言葉を費やした.メロディやトーンやリズムを言葉に変え,聴きながら感じたことに言葉の輪郭を与えて,それを感想と呼んだ.今日は,たくさんの音楽について,たくさんの感想を抱いた.そんな感想をこまかく積み上げていたら,昔よりも色々な音楽について,感想を持つようになった.どうやら,感想を持つのが上手くなってきたらしい.僕は音楽を聴くように本を読む.だから,本についても感想を持つのが上手くなってきた.そして,他の多くのことについても同じだ.僕は自分の感想の上にたって,昔よりずいぶん多くのことについての感想を持つようになった.そんな感想の中にパターンを見出して,それを趣向と呼ぶこともある.音楽に関する僕の趣向は単純だ.この上なく単純だ.ある音楽について,それが一見複雑そうなら,僕はきっとその音楽が好きだ.僕がいつも振り回されるこの,複雑さへの,単純な趣向.