「まったく,いやになるね」

「ほんとだよ」

「なにが?」

「ん?」

「きみは僕が何について,"まったくいや"になっているのか,分かって返事をしたのか?」

「そんなわけないだろう」

「そんなわけないよな」

「だってきみはまだなにも具体的な話をしていないじゃないか」

「その通りだ.僕はまだなにも具体的な話をしていない」

「するつもりは?」

「あったさ」

「過去形か」

「過去完了形だ」

「日本語にない時制を持ち出すな」

現代日本語で過去形との区別が薄いだけだ.上代から中世にかけては完了形をつくる助詞がある」

「となるときみは,現代日本語における時制の取り扱いについて,"まったくいや"になっているのか」

「違う」

「違うのか」

現代日本語文法にはいくらも文句があるが,今回の主題は違う」

「そうか」

「ほら,きみがいい加減な返事をするから話がややこしくなったじゃないか」

「心外だな,僕の返答は適切だった」

「どこがさ」

「きみは"まったくいやになる"ようなことがあったんだろ?」

「だからそう言ったんだよ」

「僕にも"まったくいやになる"ことがあったのさ」

「そうか」

「そうさ」

「それで?」

「だから"ほんとだよ",と返事をした.そのどこがおかしい」

「いや,普通,そういう返事は共通の参照先に対する共感の表明だろう」

「普通」

「あー」

「まさかきみが普通でないことと適切でないことの区別もつかない人間だったとはね」

「別にそうは言ってないだろう」

「言っているさ」

「まあ,言っているか」

「それで?」

「ああ,僕が悪かった,謝るよ」

「そうじゃなくて」

「えっと?」

「結局なにが"まったくいや"なんだ?」

「なんだ,聞く気があるのか」

「なぜ無いと思った」

「聞く気があるなら最初から具体的に尋ねるだろ」

「普通は?」

「あ」

「まあいい.それで?」

「ああ,ええと」

「うん」

「まったくいやになるよ」

「どうした?」

「忘れた」

「ん?」

「なにが"まったくいや"になっていたのか,忘れた」

「忘れたか」

「きみのせいだぞ」

「僕のおかげと言って欲しいね」

「どういう理屈だ」

「いやなことを忘れるのはいいことだろ」

「それはそうだけど」

「だけど?」

「いや,いいことだ」

「そうだろ」

「ああ.ところで」

「ん?」

「きみの方は?"まったくいやになる"ようなことがあったそうじゃないか」

「ないよ」

「なんだって」

「いやなことなどなにひとつない.今日も最高の気分だ」

「じゃあさっきのは」

「煙に巻こうとしただけだよ」

「まったく……」

「いやになる,かい?」

「ああ,まったく,いやになる」

「なにが?」

「こんな会話で気が紛れる,自分の単純さが」